「あだち充『タッチ』を精読する。朝倉南はほんとうは何を考えていたのか」には色々あるのではないかという駄文。

あだち充『タッチ』を精読する。朝倉南はほんとうは何を考えていたのか。
https://kaien.hatenablog.com/entry/2023/07/21/181247

 

を読んで、おおむね同意の記事ではあるが「甲子園につれてって」を更にもっと突っ込みたくなった部分がある。

 

南が幼少期にテレビで見た甲子園にコーフンした経緯は事実なのであるが、
和也が言う「原の背番号も知らない南」が長年その願いを追求し続けるにはやや不自然な願望でもある。
南は野球そのものに興味があるわけじゃなく、甲子園だけが不自然にクローズアップされているのだ。

 

ここから当時思っていたのが、「子供の南はそのような事を言っていたが、途中から和也に逆洗脳されたのでは?」という解釈だ。

 

和也の一番の願いと言ってもいいものに浅倉南を手に入れるというものがある。
しかし、幼少期より南が達也を好いていたのは和也も承知している。

 

そこで彼は自分のテリトリーに深入りしてこない兄の習性を利用して、戦略的に南を手に入れようとしたのではないかと読んでいて思った。
幼少期より野球漬けになり「南のために」甲子園に行くからねという呪縛を南に掛け続け、子供の頃のワンシーンに過ぎなかったものを、自分の本当の願いであるという錯覚を起こさせたのではないかと思う。

 

「自分の夢を追いかける」という形で長年追求し続けるというのは自然ではあるが、頭が良く、理知的な南が他者にそれを要求し続けるのは不自然に思えたのだ。
となると、和也が洗脳したんだなと。

 

原作を読んだ人間なら分かると思うが、和也の南への執着はとても強いものがある。
上記記事に上げられていたこともあるし、達也と南が結婚式場のモデルをやった時にその写真を無言で破ろうとしたシーンなども印象的だ。

 

タッチで和也から南への「執着展開」の一番燃え上がった部分は高校に入って南と二人きりになった時の要求だ。

まだ高校に入ったばかりの少年が、「甲子園に連れて行くけど、その代わりに南の父親に婚約の許可を取り付ける」と言い放ったのだ。
南に対して。恐ろしい外堀の埋め方である。
はたして「相手の親に婚約許可を取り付ける高校一年生」なんているのだろうか?
数ヶ月前まで中坊だった子供ですよ。

 

他に「グッスリ眠りたいからキスしてくれ」などと急に迫って、混乱した南は涙を流している。

 

ここでタッチの和也恋愛脳の暴走とは対照的なのが、達也と南の基本的な考え方。
上記記事にもあるとおりに「南は兄弟を天秤に掛けていた悪女」と言われることがあるが、達也と南の言動を見ると、「ただただ幼馴染みとして楽しく遊んでいたい」というのが恐らく本心だったろうと思える。
達也も南もお互いを好きな感情はあるがまだ恋愛脳じゃないのだ。

 

和也が南に迫ったシーンをこっそり見ていた達也もそのような事を南に言っている。
「なにをあせってんだろ。おれたちまだ高校一年生だぜ。もう少し幼馴染みのなかよし三人組でいたいんだ」

 

子供の頃からわいわい楽しくやってきた三人の関係に急に恋愛モードを持ち込んできたルールブレイカーが和也だ。
友達同士の仲良しグループでいきなり告白してくると関係性が急に壊れる事があるがまさにこれだ。

 

このおかげで、達也が「恋愛」を強烈に意識しだして、達也が本気を出すルートに乗ってしまったのだから皮肉ではあるが、和也からすると放置すると将来的には必ず達也と南はくっつくから仕方がない。
(南は達也がずっとダメ人間であっても関係なく好きだと思われる)

 

和也は子供の頃から「南は兄貴の事を好き。しかも兄貴の方が才能がある」という
絶望的なゲームをひっくり返すために着々と南を洗脳し続け、ついには婚約を言い出す。

和也が死ぬまでの展開はまさに和也がゲームを作り、それに振り回される達也と南という話がタッチである。
和也が作ったゲームをぶちこわすために投入されたのが原田であり、達也にプレイヤーになれと言い続けた読者の知ってる展開になっていく。

 

タッチ序盤は和也にひたすら振り回される天然の主人公と天然のヒロインという形になっていると思うが、考えないといけないのは上杉和也の歪さだ。
和也の一番の願いは南を手に入れる事だが、それと相反するように違うベクトルの強い願いとして達也がめっちゃ好きだというものが存在している。

 

上杉母の終盤の名セリフ「和也の笑顔を見るのは大変だった。それには達也を褒めないといけないから」

 

和也は本気で達也の事が好きで、だから買ったばかりのグローブを試合に持ち出してエラーしちゃうのだ。

 

上記記事にあった「俺に気を遣わずに野球部に入ると良いよ」というシーンは、そう言えば逆に達也は入らないという策略と、しかしながら兄貴に好きなことをやって欲しいというこれまた相反した心情があったのではないかと思っている。
どっちに転んでも彼は「幸せであり、不幸」なのではないかな。

 

終盤の南の父親のセリフ「カッちゃんが生きていれば、最終的には問題はなかったと思うんだ。
三人とも相手の気持ちを大切にする、やさしい人間ばかりだもんな。
もしかしたらタッちゃんは、カッちゃんがいずれ味合わなくてはならなかった南を諦めるつらさまで…」
は分かってたけどついに言語化しちゃったかのシーンなのである。